山田昌記:21

さてさて…いよいよ時期やらなんやら関係なく思いついた事を書き始めてきてます。

 

今回は何にしようかな…。

 

 

バンドを始めた時はなにかしら憧れというものがあります。

それこそキッカケとか夢とか、誰それになりたい!みたいな…

俺はざっくりハイスタ、かっこいい。

バックドロップ、かっこいい。

コークヘッド、かっこいい。

 

その頃のバンドは俺的には唯一無二なバンドが多かった。

今でも思うパイオニア感…。

要するに

バンドやるなら同じモノを作ったらアカン。

と思ってた。

 

既出の音楽に影響を受け、自分はもちろんメンバーの通ってきた音楽等を合わせて他に無いものを探す感じ

そうでなければ他と差をつけれない

…とか深~くは考えてはなかったけど自然にそんな感じで考えてた。

「◯◯っぽい」とかはまだセーフ(俺的に)

影響受けたバンドとかがバレたらちょっと悔しかった。笑

 

harmonize ってバンドやってた時は唯一言われたのが

「alice in chains と Deftones を足した様なバンドだね」

と言われた事。

当時 俺は両バンドとも知らなかったが言われて後追いで購入、光栄に感じたな…。

(デフトーンズは縁あって生でライブも観れた。)

後、クランベリーズ 好きなのは 登場SE に使ってたので即バレた。

 

ちなみにそのクランベリーズの ハリウッド と言う曲は ずーーーーーっと使っていたのでいまだに聞くと手に汗を握る。(創志も同じ事を言ってた)

 

おかげ様で色々なバンドと出会い影響を受けたりしながら自分らの音楽を探す中、解散をするわけです。

一生懸命な感じでしたけど独りよがりだったんですねー。

 

次に始めたのが water ですね。

これはウーピーズで働く中で

このベースとやりたいな、このドラムとやりたいな、このギターとやりたいなの集合体。

まずは swoosh 、最後にMOGA THE ¥5 に居たキングに声をかけた

ウーピーズでのライブ後に

「キング、バンドやろうや」

「いいね!やろうやろう。」とあっさり決まった。

 

ドラムはFLAG SHIP の後に STANCE PUNKS 、今は 芸人 の 柿 という男。

 

なんとか ってバンド始めた 船橋 がベース。

 

キングとの共通の友人でバイオリンが弾けると言う まいまい 。

 

この五人でスタジオに入り始めたがスタジオ数回でドラム、ベースが抜ける。

まぁスタジオでもビジョンが明確に見えずムニャムニャムニャムニャしてたから…

 

少しの間、そのまんまだったのだけど

ある年のクリスマスに、現在U-stoneの 赤士 の家に 現在フーイナムの大槻と三人で寂しく遊んでた。

「あの押入れに霊を感じる」とか言いながら…

 

「大槻ぃ、バンドやろうやぁ」

「いいわぁ…」のやりとりを2時間くらいした。

そのやりとりが

「どんなバンドやるの?」に変わった…

「んー、far とか、JIMMY EAT WORLD みたいな歌モノロック」

…すると「そうなんや?激しいのやると思ってた…」と。

 

要するに俺が過去やってた2バンドで俺のイメージが固まっていた様で最終的にはすんなりオッケー。

 

次はドラマー、当時 SWITCH というスカパンクバンドをやっていた 仁 というオシャレさんに大槻と二人がかりで口説きにかかった

彼はまだ若く音楽的にも視野は狭かったものの JIMMY というキーワードでオッケー。

 

そこからほぼ毎日大槻と二人で仁の家に乗り込み ウイニングイレブン というサッカーゲームで徹夜する毎日。

彼のキャラをも変化させてしまう事に成功した。

 

この辺で俺と大槻のめんどくさいグルーヴは生まれたかと。。。

 

ちなみにピンボーカルしか経験のなかった俺がギターを持つ事になったのがこのバンド

キングに「バンド組んだはええけどお前何すんねん。」と…

「え?…う、歌。」

「アカン!ギター弾け」

「はい。」

で、翌日にローンが組まれました。笑

 

いよいよスタジオで曲作りなのですがちょいちょいと曲を揃える中

当時の大槻はミュージックマンのピック弾きオンリー

まさに当時のメロコア野郎でしたが、俺とキングの

「ベースは指弾きでしょ!」

の一言から指弾きに変更。

 

そんな裏ではドラマーの仁の方がまいまいよりバイオリンが上手いという事実も発覚、心が折れ、バイオリン脱退。

 

後にキーボードが加入したりするも結果的に四人編成に落ち着きました。

 

キングという鬼教官のもと音楽素人三人はなんとなく頑張りましたとさ。

 

 

スタジオ中のあれこれはまたの機会にでも…