山田昌記:4

最近「ブログ見てるで」なんて事を言われました、ありがたい話です。

変わらずマイペースになりますがツラツラと行きます。

 

そんな原付ハリキリ時代を経た頃、缶ジュースのプルタブが切り離せなくなった気がする。

切り離せなくなったという事は切り離した後のプルタブをさらに二分化して取っ手の方を引っ掛けて手裏剣みたいに飛ばせなくなる!

という僕の人生にはさして影響のない事態が起こった…笑

 

高2の夏くらいかな?一つ上の先輩がライブするから…という事でチケットを買った

(コピーした紙の裏にシャチハタを押したモノ[¥500])

友人と連れだって行った場所は祇園にある WHOOPEE'S というライブハウス、薄暗い地下へと続く階段に半端じゃない緊張をするも表向きには余裕なフリ…

(きっと周りから見たら丸分かりなんだろうな)

入っても知ってる人なんて居ない

(先輩の世代がライブハウスを貸切ってイベントをやっていたんだろうけど当時の俺は先輩とは接点がなく友人に付いて行った様なもの、出演者もお客さんも年上、まぁ新世界でした)

そんな中ステージに上がってライブをしていた先輩達、ハッキリいって何を演ってるかなんてわからない(曲を知らないから)…けれど、ただカッコよく見えました。

普通ならここで「俺もバンドやる!」ってなるところですが、俺はまだ動じない!

なぜなら楽器が出来ないから…笑

 

ほんでもって秋が訪れ学園祭の季節が来た。

我が校はなんかデザイナーさんの手が入っているらしくグラウンドから校舎入口にかけて地下一階分掘り下がっています。(しかもグラウンドの幅分)

なのでキョーレツな幅の階段が一階分続いているわけで学園祭の際には校舎入口前にステージが組まれ階段が客席に早変わり!

但し、そのステージに立てるのは三年生のみ!

その時も先輩達は演ってました…メタルを。(その頃にはメタルの知識が少々入る)

そして校舎内視聴覚室もまた斜め作りの教室でそちらが下級生や音楽部の発表の場でした。

同級生のライブを見に行ったのですが EXTREME とか演った後、アンコールが TOM☆CAT の 愛をとりもどせ だった記憶がある…

(そのギターを弾いていた男、ベースを弾いていた男が後のup and coming となる)

この、「同い年がバンドを演っている」という事が結構俺には大きかった気がする

この頃から 8〜10人のグループが出来上がってたな。

主に無茶をする、バイクで遊ぶ、音楽を漁る様に調べ 買う、薦め合う…そんな日々。

 

ある日、友人が一枚のCDを持ってきた…なんとも斬新で聞きやすい、超カッコいい海外のバンドだ!

「名前はなんだ?…ふむ、Hi-STANDARD …」

「どれどれ、どんな奴らだ?」

 

!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

日本人だった…しかも、浪人生の様な普通の…むしろ冴えない…(これ、本当に最初に見た感想)

彼らが本当にこの音楽演ってんのか?! なんか凄いっ!

 

これを機に[ごく普通の人間が実はカッコいい、そのギャップ]に憧れる。

そして高校に入ってから張り切って買っていた paulsmith だの APC だののオシャレ衣類を一気に売りさばく事となる。

 

ま、結果的にカッコいい事が出来なきゃ普通のヤツ、むしろモサイヤツで終わるのですがね…。

 

話はそれましたが、この時代インディーズなんて言葉もなかった(耳に入らなかった)時代で、インターネットなんてもちろん一般的でなく先輩や友人の持っているレコードを聴いて知る、買った音源のTHANKS TO...の欄をガン見…

そんな事がザラでしたが、そもそも先輩はなんでそんなに詳しかったんだろう…謎だ。

(その先輩と言うのがバスケ部の先輩、現 DJ REEDER)

もちろん購入場所を教えて貰った。

寺町京極にいまだ存在する AVISレコード だ、本当に世話になりまくったお店。

まずは先輩や友人の持っている安牌を数枚購入、溝が無くなるくらい聴く、破れるくらい歌詞を見る、もっと新しい音を知りたくなる。この繰り返し…。

そして「ジャケ買い」「当たり」「ハズレ」のワードが登場するわけです...